2017年04月19日

罪悪感と良心

良心とは道徳的な知恵の貯蔵庫、なにが善でなにが悪であるかについての直観が湧きいずる水源です。わたしたちが利己的なことや他人に苦痛を与えること、あるいは道徳的にあやしいことをいったりしたりすると、良心がかならずしつこく警告音を響かせます。

きびしいけれどためになる助言を与えてくれる友人、そして、わたしたちのふるまいを写した古い映画を再上映しては、遠慮会釈のない評価を下してくれる批評家でもあります。つぎのシーンではもっとよく役を演じることができるよう、わたしたちの演技を全体的にチェックして、こうやるといい、ああしてはいけないと教えてくれるのです。

良心の声にいつも耳をかたむけているなら、わたしたちは申しぶんない生き方をし、よい行いばかりしえいるはず。
一歩たりともまちがった道には踏みこまず、自分自身との間に葛藤や反目もないでしょう。しかしいつとはしれず私たちの良心は声をおし殺すようになります。でもそのあとでは心の奥深いとおろに何かしらイヤな感じが広がるのです。このイヤな感じにはいったいどんな意味があるのでしょうか?
そのときに大きな選択に迫られます。このイヤな感じをさぐるべきか?それとも知らんぷりするべきなのか?

罪悪感…良心という水源からしみ出す感情

には2つのタイプがあります。ひとつは「展望のある」罪悪感で、なにかまちがったことをしたり、考えたりすると、わたしたちにそれと気づかせ、もし心の平和をとりもどしたいなら、いまの状況を改善するために手を打つべき、と教えてくれるものです。

きみは本来の自分を見うしなっているけれど、まだ引きかえせる。でもそのためには良心の示してくれる目印にしたがうべきだよ、と。

もうひとつのタイプは、外から押しつけられる「お題目的な」罪悪感、責めるばかりで建設的なところのない意識です。親や教師は、子どもの内面に生まれながらに備わっているはずの善悪の観念を育てようと力を尽くします。

しかし、こうした教育は、教育する側の道徳観の押しつけになりがちなものですし、子どもは成長していくにつれ、時代遅れだとか現実にかみあっていないとかの理由で、おとなに押しつけられた道徳観に反発するようになるものです。

そのうえわるいことに、おとなのなかには、他人の罪悪感を利用して自分の権威を保とうとする人もいます。典型的な例が、奴隷の主人さながらにいばりちらし、息子をガミガミしかりとばす父親。こういう父親は内心では自信がなく、親しみややさしさをすなおに表現することにより自分の弱さがあばかれるように思えて、その代わりにいばりちらすのです。

他人から押しつけられるタイプの罪悪感は、ただもう恐怖感だけでささえられています。こうした罪悪感が長期間にわたって外部の権威(学校、家庭、宗教、所属する団体)から押しつけられていると、ついには自分のほんとうの良心が語ることも、なんだか疑わしく思えるようになります。

疑いの念がむくむく頭をもたげてきます。

いま罪悪感を感じているのは、良心を「発達させすぎた」せいじゃないかしら、一度くらい自分勝手をやったからって、ぜったいだめってものでもないじゃない…。

自分は、仲間から勝手だと非難されるのがこわいばかりに他人のいうがままになっていると感じたことが、あなたには何度もあったのではないですか?自分のなかにしっかりした善悪の基準を確立していないと、やましい気分を「もたされる」ことによって、他人に自分自身の行動を決定されることに甘んじるようになります。

しかし、自分の内なる声に耳をふさぎ、自分で自分の行動を決定しないでいると、もっと強い罪悪感を味わわねばならないでしょう。

集団内であらかじめ決められて受けつがれてきたタイプの良心が、まちがっていることもあります。自分自身の本能から発する良心の声のほうが正しいことがあるのです。わたしたちは、からみあうこの二つの縄をきちんと分けて、そのときそのときでどちらが正しいかを判断するすべを学ぶべきです。

その過程で、内面の強さは育っていきます。そして心の奥底まで根を張ってはいるけれど、実のところ異物のように感じられる押しつけられた罪悪感を、はねかえす勇気をもつことができるのです。
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2017年04月14日

心の雑音を消す

浮動不安は、たいていの人にとって人生の道づれです。わたしたちは気苦労という心のバックグラウンド雑音をあんまり聴きなれてしまった結果、心に雑書がしていることさえ忘れてしまっています。

このイメージ・トレーニングでは、あなたがまずこの雑音の存在を認識し、それから追いはらう…すくなくとも、気苦労がこのつぎにあなたの顔に暗い陰を落とすようになるまでのあいだ…ための手助けとなるものです。
  1. ゆったりと腰をかけ、目を閉じましょう。静かな森の小道を歩いていると想像してください。もうすぐ木立の開けたところに出ます。空き地の真ん中までゆっくり進み、腰をおろします。
  2. どこからともなく集まった動物たちが、あなたをとりまいています。危害を加える気配はないようですが、じつはそれぞれが、あなたの心配ごとが形を変えたものなのです。身体が大きい順に心配の度合いも大きくなります。たとえば俊足のガゼルは仕事の締切り、ライオンは人間関係のトラブルです。
  3. 空き地の一方の側にハチの巣がありまゼす。ハチの一群がこちらへ飛んできてブンブンと羽音をたてます。これがあなたの浮動不安です。
  4. 動物たちの1頭1頭を、そっとなでてやってください。あなたの手がふれるにつれて動物たちはおとなしくなり、森の奥へと姿を消していきます。あとにのこったのはハチたちの羽音だけ。
  5. ハチの形をしたちっぽけな気苦労が、1匹1匹巣にかえっていくのを想像してください。空き地に静寂がもどりました。気苦労の種は巣に羽を休めています。明日のことは明日心配すればよし。平和があたりに満ちています。2

posted by relux at 13:25 | Comment(0) | リラクゼーション
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