2017年07月12日

理想の自分は実現できる

自分自身についてすてきな思いつきが浮かんだという経験のない人はまずいないのではないでしょうか。たとえば、自分はじつはこういう人間でありたいのだというさえた考えが突如ひらめいたという瞬間があるはずです。

長い人生のあいだに、わたしたちは理想の自分像を想條しては、めずらしい年代もののコインかなにかのように、秘密の安全な場所…心のなかにしまいこんでしまいます。この宝物を宝の持ちぐされに終わらせず、明るい光のなかにとりだして使ってみたらどうでしょう。

自信喪失のたいていの原因…わたしは自分のほんとうの可能性に気づいていないんじゃないだろうかという不安…一掃されるはずです。こういうふうになりたいという自分像をあげてみてください。そして、その理想の自分像を理想に終わらせず、毎日の生活のなかで実践にうつしてみましょう。

あなたが自分の理想像に近づこうとしている姿を、みんなに見てもらいませんか。あなた自身にたずねてみてください。
あなたが描く理想の自分億は、日々の暮らしのなかで掩えこんでいる不必要な悩みや緊張をなくしてくれるのに役立てられないでしょうか?

自分の理想像が語りかけてくるメッセージに耳を貸せば、不安がとりのぞかれ、心の平和をとりもどせるんじやありませんか?心に描いた理想の自分像を信じてください。別人でもなければ、いつもの自分とかけはなれた、よそゆきの自分なんかでもありません。それはあなたのほんとうのキャラクターなのです。
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2017年07月09日

ポジティブな思考

「ポジティヴに考えなさいよ」。リラックスなんてお呼びじゃない悲観主義におちいっていると、まわりの人たちはわたしたちにこうはっぱをかけます。

でも、ポジティヴな思考は単なる傷ついた感情の応急手当て以上のもの、創造性と将来への展望との源なのです。

マハトマ・ガンディーはこう語っています− 「世界がこう変わるのを見たいと思う、そういう変化を、わたしたちはわたしたち自身において実現しなければならない」。これこそ、ポジティヴな思考のもっとも単純にして明解な定義です。まるで酢がいつのまにか蜂蜜に変わるみたいに、心身を痛めつけるようなできごとが自分を甘やかしてくれるようなおいしいできごとへと変わってしまう。

ポジティヴな思考というものは、そんな他力本願の考え方をはるかに超えたもの。じつのところ自己自身への信頼に深く根ざした心のもち方なのです。自己自身への信頼こそは、思考の力であり、未来を信じて前進するためのエネルギーではないでしょうか。

土がなければ美しい花も咲きません。現実になにかものをつくったり、自分の生活環境を変えてみたり、社会の変革に力を貸したりといったことに先立って、わたしたちがみずから創造する作品といえば、それは思考です。自分の考えを信頼し尊重しない人は、たとえ、他人をけなすことで自分へのいつわりの信頼を装おうとしたところで、結局は、自分自身の可能性が信じきれません。自分の心への尊重が土壌となってポジティヴな思考はじょうぶに育ち、心の平和という実をつけるのです。

心の平和− ポジティヴな心の姿勢とリラックスとの切っても切れない関係をずばりあらわした、意味深い言葉です。

「変化であれ」という表現は、わたしたち自身が変わること、そしてわたしたちが変化をおよぼすことという二つを意味します。つまり、この言葉の意義は、機械の一部品のように自己が世界の単なる一部分として存在しているのホリステイソクではなく、自己と世界とを分割できないものとしてとらえる全体論的な観点にあります。

自分自身のエネルギーを事物にもたらすそのとき、わたしたちは自分自身の内面をも変化させているのです。ポジティヴな考え方をしているときには、大波が小波を呑みこむかのように、内面の不安は、ポジティヴな考え方にうち消されていきます。

ネガティヴな雑音を静まらせるポジティヴな思考で心をいっぱいにしているのですから、心には平和がおとずれます。わたしたちは一人ひとりが無限の可能性を秘めています。

ポジティヴに思考するなら、内なるエネルギーは磁石のように、おのずと成功に向けてわたしたちをひっぱっていきます。わたしたちはただ、自分自身を信じればいいのです。
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2017年07月03日

人生の舵取り

いったん人生の流れを受け入れ、独りよがりにガンバルことをやめると、なにがなんでもものごとを管理しなければ、といった思いこみがなくなっていきます。

管理。時代の風潮にはぴったりはまっていますが、過大評価されてきた現代社会のヒット商品ですね。現代社会は、管理という考え方を、いつの時代、どの文化にも通用する普遍的正義にまで格上げしてしまいました。

かくて、人類という生物種がたどりついた倣憎の極致が、遺伝学から環境工学までに浸透した、自然そのものを管理できるという思想です。東洋の英知は、よりよい生き方の奥義を啓示してくれるものとして、しだいに西欧でも理解されるようになってきましたが、この東洋の英知は、管理よりもずっと繊細な、受容という観念に力点を置いています。

この観念は運命決定論と同一視されがちですが、じつは2つは似て非なる観念です。むしろこういったほうがいいでしょう。

受容とは、自然の木目にがんこにさからうより、木目にそってうまく仕事を進めることである、と。リラックスするなら、ペースダウンしなければ。人生は流れゆくもの、全速力で駆けぬけるものではありません。

原因と結果とがあわただしく連続するエピソードがまにまに挿しはさまれることもありますが。

とりわけ重要な仕事になればなるほど、じっくり時間をかけてしあげるといい結果が出るものです。すばらしいアイデアが湧いて、なんとしてもこれをやりとげないでは死ぬに死ねない、おちおち休んでもいられないといった状況は、みなさん体験しているでしょう。

でも、結果を出すことに性急すぎると、知らぬまに生活から安らぎが失われていきます。そして、不変の真実を思いしらせる、恰好のサンプルになってしまうのです。つまり、自然の木目にさからって意志力のタールを塗ってみてもタールは塗った本人にはねかえってくると云うことです。

もちろん、長い人生の間には断固とした意志をもって事態を打開するほうがいいケースもります。舵を取らなければ私たちのヨットはめざす目的地から何海里もそれてしまうでしょう。
ときには不屈の決意でゴールをめざすことも必要なのです。

ためにならないつきあいを終わらせたい!周囲の意向をはねのけたい…などです。

ただ、逆の場合も考えてみてください。つまり、これこれの関係を「スタート」させたいといった場合です。こういう場合にわたしたちが自分の意志でできることといえば、ただ自分の望む方向をめぎすことだけ、そして自分からのささやかな追い風が、状況を望みの結果に向けてはこんでくれるかどうかを見守ることだけです。

自分がコースをはずれて漂流しているようだと思ったら、ときどき方向修正してみるのもいいでしょう。とはいえ、自分がめざしている方向が果たしてほんとうにめざすべき方向なのかを問いかけてみることも、冒険には不可欠です。

生活のあれこれの局面で未解決の問題を抱え、どれも結果待ちの状態にいるとき、どっしりと腰をすえてなりゆきを見守るのは、大多数の人にとってとんでもない難題です。

こういう状況では、当面の問題そのものよりも、まるで先行きが見えないこと自体が、不安をかきたてるからです。こういう場合の最善の対処法は、自分はほんとうはこうありたい、こうなれば満足だという状況を文章に表現して、それをくりかえし唱えることでしょう。

当然そうなるはずだ、いや、ならなくてはおかしいと思いこんでしまうまで、くりかえすのです。それともうひとつ。どうあがいてみても事態がコントロールできない期間は、裏をかえせば、問題から一時的に心を解放して、自由を楽しめる時間であるのだと自分にいいきかせること。夏のあいだは朝から晩まで収穫に精を出す農夫も、冬には消耗した体力をとりもどすことに専念します。

このいわば冬の時期は、自分自身にとって無理のないリラクセーションの形を見つけるための準備期間だと考えましょう。
posted by relux at 11:22 | Comment(0) | リラクゼーション
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