2021年05月26日

フィットネス の落とし穴 自分を追い責めてしまうタイプ相手を追い詰めてしまうタイプは注意

今日では、運動はすっかり、健康と魅力の秘けつと認められるようになりました。ランチタイムにジムでひと汗流し、アフターファイヴのひとときを運動のスクールですごす人、週末にスポーツを楽しみ、家でもフィットネスのビデオを見ながら体を引きしめる人もふえてきました。

現代社会の一方には熱心な フィットネス 信奉者がいて、とてつもない時間とエネルギーを運動についやしています。また一方、運動に熱心になれない人にとっては「運動しない」という罪悪感がどんどんふくれあがり、すこしずつ自尊心が傷つけられていくというありさまです。

罪悪感がストレスを与えることを、わたしたちはもう知っているはずです。とすると、進むべき道は運動しかない、と考える人も出てくるでしょう。
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たしかにたいていの熱狂的 フィットネス 信奉者は、自分たちこそがリラックスの国の扉を開ける鍵をにぎっている、運動こそ緊張とストレスから解放してくれる信頼できる方法だ、と主張してゆずりません。

ある程度までは、それも真実です。運動すると血中のアドレナリン量が上昇し、その結果、心身がさえわたります。しかし、それはしばらくのあいだだけ。運動はじつは諸刃の剣、以下の生理的事実が運動のもつ危険な側面を示しています。

休むことなく激しい運動を続けると、筋肉が疲労し、酸素の供給が追いつかなくなってしまいます。すると、酸素の不足量を補うために筋肉中に有害な乳酸がつくられます。

身体に必要な酸素が根本的に不足しているために、結果として、わたしたちはリラックスせぎるを得ないのです、つまり身体がもうへトへトなんですから。こんなふうに疲れきってみても、なんの価値もないし、得にもなりません。

酸素量の不足をむりやりうめあわせようとして毒素の量をミふやすというのは、自然に反したやり方です。でも多くの人にとって、 フィットネス の危険な落とし穴は、 フィットネス できれいになれるという神話を破壊するどころか、むしろささえているのです。

ちょっと聞いたかぎりではいかにももっともな理屈が、まかりとおっています。「からだをせっせときたえてやれば、わたしはすてきになれる、すてきになれば、プライヴェートでも仕事でもきっともっとうまくいく、もっと成功すれば、それでハッピーになれる」。

たしかに、運動をすると気持ちよくなれます。運動は、精神のやどる寺院をきれいに手入れするひとつの方法ではあるのです。実際的な話でいえば、運動で体の柔軟性を保ち、肥満をふせぎ、つまりは心身の調子を一定に保つことは、医学的にも心理学的にもあきらかにいいことです。

とはいっても、フィットネスが与えてくれるおいしい果実を味わいたいからといって、なにも身体を限度いっぱいまで酷使する必要はないのです。かごのなかで車輪をまわすハツカネズミよろしく、決まりきった運動を毎日ただやみくもにこなすのはやめて、もうすこし過激でないレクリエーション、心身ともに、自由でのびのびと、リラックスした感覚にあずかれるような運動を考えてみたらどうでしょう。

たとえばウォーキングやスイミング、のんびりとしたサイクリングは、心と身体がバラバラにならず、一体化した感じが楽しめます。

わたしたちは、肉体のコンディションばかりに気をつかうのでなく、心も身体もあわせもつ存在としての「このわたしの幸福」、内面的な自己の健康にも、おなじぐらいよく気をつけてあげなければいけません。心の健康をおろそかにすれば、身休はかたくこわばり、血の気も失せ、ついにはひどく体調をくずしてしまうことになります。奥の祭壇がボロボロでは、容れものの寺院を修繕してみても、たいした意味はありません。


posted by relux at 18:35 | Comment(0) | リラクゼーション
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