2021年04月28日

傷つく必要のない言葉に神経質にならない

なぜ相手の言葉を真剣に受けとめてしまうのか

最後にもう1つ、生きることに疲れたあなたが休んでいる間に考えることがあります。それは、あなたが相手の言う口をあまりにも深刻に捉えすぎたのではないかということです。

もう少し気楽に相手の言うことに対処してよかったのではないかということです。だいたい、生きることに疲れた人は生真面目だから、相手の言う一言一言を真剣すぎるくらい真剣に受け取ってしまいます。そういう性格なのです。普通の人は、人の言うことをその場に応じて適当に解釈し、適当に対処しています。

時にはいい加減に聞いて、それに真剣に村応しないことが必要です。生きることに疲れるような人は、なぜ相手の言うことをそこまで深刻に受け取ってしまうのかということです。

なぜ相手の要求を「できないよ」と言って、軽く受け流すことができないのでしょうか。それは持って生まれた性格もありますが、常に相手の言葉を探刻に受け取ることを要求されて育ったからでしょう。つまり、敵意と憎しみの環境の中で育ったからです。
傷つく必要のない言葉に神経質にならない

敵意のある人の言葉を軽く受け流したら、相手はものすごく怒るでしょう。

言葉には本気と一時のものがある

たとえば、人のいないところで思いっきり言いたいことを言ったとする。誰もいない山の中で、「部長、死ね!」と言ったからといって、本当に「死ね」という意味ではありません。それは一時の感情から出た言葉です。だから「死ね!」と言ったからといって、本当に「死ね」と言っているのではなく、「死んでほしいほど、あの部長が憎らしい」という意味です。

本当に殺したいほど憎らしいという時でも、実際に死んでしまえば、「あー、あの部長にもいいところがあった」と思うことが多いものです。そうでなく、殺したくて、本当に殺してもまだ憎しみが晴れないなどということは珍しいものです。

つまり、「死ね!」という憎しみの言葉でも、本当にその言葉の意味することを言っている場合と、一時の感情から出た軽い言葉で、別に本当にはそう思っているわけではないけれど言う言葉とがあります。

「死ね!」ばかりでなく、人を非難する言葉は多い。その言葉を吐いた時に、その人が本気でそう思っている時と、単に一時の感情から言っている時とがあります。

言ってしまえばそれでスッキリするという言葉と、言っただけではなく、それを実行に移すに催する言葉とがある。行動までともなう言葉と、その言葉を言うことで感情が消えてしまう言葉とがあります。

「馬鹿者! 」という言葉を言った時も同じです。本当に相手を馬鹿者と思っている時と、あるその人の行動を見て気軽に「馬鹿者」と言った時とがあります。そして憎しみの言葉がその意味するとおりの意味で使われている家庭に育った子供と、そうではない温かい家庭に育った子供とがいます。

憎しみを心の底に根雪のように凍てつかせている人と、そうでない人がいます。憎しみを心の底に根雪のように凍てつかせている親が、子供に「お前はずるい」と非難した時には恐ろしいものです。

これは一時の感情の言葉ではすまされません。これは本気の言葉です。行動を刺激する言葉です。子供はどんな仕打ちをされるか分かりません。子供にとってこの言葉は恐怖の言葉です。

その言葉を言ったことで、言った本人がスッキリしている言葉ではありません。言ったことをもう忘れている言葉ではないのです。それを言うことで、言った本人の憎しみと敵意は増しています。言ったことでもっとそう思えてくる言葉です。

相手の言葉に「責め」を感じるうつ病者

生きることに疲れた人たちが、人の言葉を重く受けとめたり、あるいはヒステリックに反応するのは、もう1つ原因があります生きることに疲れた人は、つねに言葉のウラには「責める」という意味が込められている環境の中で育ったからでしょう。

たとえば、人から何かを聞かれる。軽い意味で相手は聞いています。「この漢字どう読むの? 」でもいいし、あるいは「今日、車で駅まで送っていってくれる? 」でもいいでしょう。

とにかく何でもいいのです。答えは「分からない」でいいし、「ダメだよ」でもいいのです、しかし、生きることに疲れた人たちやうつ病になるような人たちは、そういう言葉を軽く「ダメだよ」と受け流さないで、言い訳を始めたり、そういう質問をする相手の態度に怯えたりで、大変なことになります。

それらの軽い言葉をなぜ彼らはものすごい重い言葉に受け取るのか?それは、小さい頃から「知らない」と言うと、ものすごく責められたからである。「ダメだよ」と言うと、ものすごく責められたからです。

もし「知らない」と言えば、「こんなことも知らないのか」と延々と責め苦にあいます。だから、相手の質問に軽い気持ちで「知らない」とは答えられない。「知らない」と言って、何事も起きない環境で育った人には理解できない幼児期の体験が彼らにはあるのです。

青葉は言う人によって意味が違う

言葉は、誰が言っているかでまったく意味が違ってきます。発音が同じだからつい同じ意味に受け取ってしまいます。恐ろしい憎しみの家で育った人と、明るい家庭で育った人とでは、同じ言葉を使ってもその意味がまったく違うのです。

ある意味、ロシア語と日本語より違うかもしれません。ただ、「ずるい」という発音が同じだから同じ意味に受け取ってしまうのです。

一般に悪意の言葉は、根深い憎しみのある人と、憎しみのない人とでは意味はまったく違います。根深い憎しみのある人の言った悪意の言葉は重いもので、さらに深刻です。

「殺したい」は、本当に「殺したい」です。行動を刺激する言葉です。憎しみのない人の悪意の言葉は感情の言葉で、言えばその感情が消えている軽い言葉です。

言った後では本人は何を言ったかも忘れています。憎しみのない人があなたを非難、罵倒しても別にどうということはないのです。言った本人が何を言ったか忘れています。その言葉にともなう感情を、言った本人がすでに持っていません。

しかし根深い憎しみのある人が、あなたを非難、罵倒した時にはこれは恐ろしいものです。一言二言が本人の存在に根を持っている言葉です。

極論を言えば、言葉の意味は、その言葉自体よりも、誰が言うかということのほうが重要です。根の明るい人が、怒って言った言葉を、憎しみのある人が言った言葉と同じに受けとめてはいけないのです。それを同じに受けとめて深く傷ついている人は多い。傷つくのはそうした憎しみの環境の中で育ったからです。

憎しみの環境で育った人は、言葉の意味をその環境の中で理解して成長してきています。だから成長してからも周囲の人が言う一言一言が重いのです。

そうして傷つく必要のない言葉に深く傷ついているのです。逆に明るい環境で育った人は、相手の言う重い言葉を軽く受け取って平気な時もあります。傷つくのが当然な時にも傷つきません。

言葉の意味の違いはさらに次の誤解にも広がっていくでしょう。たとえば対立を恐れる人と対立を恐れない人とがいます。喧嘩をどう受け取るかは人によってまったく違います。生きることに疲れた人は、何事も気楽に受けとめて生きては来られなかったのです。

現代人のための心の休憩
posted by relux at 16:57 | Comment(0) | 生きることに疲れた
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