2017年03月13日

感情の波を鎮める

ネガティヴな三大感情から解放されるための、ごくかんたんなトレーニングです。
  • 怒り:
    緊張状態をぬけだしたいなら、まず石ころのような小さくてかたいものを手のひらにのせてみましょう。それを、できるだけきつく握りしめてから、ふっと力をぬく。それから手のひらの上をやさしくころがしてみてください。石ころがコロコロところがると、ほら、やさしい気持ちがほろほろとこぼれでてくるみたいに感じませんか?
  • 悲しみ:
    力感と反応のなさは悲しみの道づれ。ですから、悲しいときにはおもいきって散歩に出かけましょう。道すがら目に入るものに注意を集中してください。どこにいくかとか、おなじルートを何回ぐらい散歩すればいいかとか、それはお好みで。一歩一歩足を進めるごとに、沈んだ気持ちがすこしずつ晴れていきますよね。景色や書や匂いに、努めて反応してみてください。
  • 嫉妬:
    嫉妬しているときの身体にあらわれる反応は、恐怖に直面したときの反応と似ています(嫉妬はしばしば喪失への恐れから生まれるものです)。本能は闘えと命じますが、メラメラ燃える嫉妬の炎に飛びこむかわりに、子どもの手をなでるようなぐあいに、片方の手の甲に、片方の手の指をやさしく走らせます。ひとなでするごとに激しい感情がおさまっていき、静かな気持ちで事態にたちむかえるようになるのです。
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2017年03月08日

冷静な考えを取り戻すための考え方「ロデオ」

感情の生理学や心理学は、何世紀にもわたって、科学者や哲学者はもとより、人間の心をもっとよく知りたいと願う人々にとって、尽きせぬ関心の的でした。

学術的な関心ばかりではありません。もっと素朴で現実的な疑問もありました。感情という荒馬をどうやって乗りこなせばいいのだろう?

感情は理性とは逆方向につっぱしるものだと知りながら、自由奔放に暴れさせておくべきか、それとも心のなかでいきいきとはねまわるこの力がしぼんでしまう危険を承知で、手綱をかけるべきか。

アリストテレス(紀元前384〜紀元前322)は、中庸の徳を説いたこの哲学者らしく、感情は適切なるとき、適切なる形を通じて表現されるべきであると考えました。キケロ(紀元前106〜紀元前43)は、感情はわたしたちを害から遠ぎけ、他人への同情へとかりたてる防御的反応であるという見解を示しました。

感情には有用性があるという考え方を支持する人々は、人間が自分の人生や自分をとりまく世界にどれだけ効果的に働きかけられるかは、感情に大きく左右されることを指摘します。しあわせのただなかにいるときには、なんだってやってのけられるような気分になりますし、落ちこんでいるときには、ちょっとした仕事でさえとても手にあまるように感じますね。

キケロ的な人生観でも、恐怖という感情がわたしたちを危険から遠ぎけ、悲しみという感情が他者への同情のきっかけになります。ですが現代では、多くの人々にとって感情をコントロールできないことが、ストレスの原因となっています。

もしも感情の手綱をうまくさばくことができ、ほどよい感情を保つことができさえすれば、人生はずっと生きやすくなる、というわけです。

喧嘩していた人と仲直りできたときや長年の努力がついにむくいられたときの喜び、別れやわるい知らせを受けたときの悲しみ、こうした折々に、感情の大波にすっかり呑まれてしまう。だれしも身に覚えがあるはずです。

しかし、自分の感情だと思いこんでいるものがほんとうに自分の感情なのか、ちょっと疑ってみてもいいかもしれません。

なぜでしょう? 理由は2つ。まずひとつは、人間の感情は暗示にかかりやすいものだという事実です。映画業界では、お涙ちょうだいの物語をこしらえることなど、わけもありません。わたしたちは、つくりごととは知りつつ、恋する二人につい感情移入し、恋の行く手にわがことのように一喜一憂するのです。つまりわたしたちは、自分の感情を他者にあやつられることを学習してしまっているわけです。

理由の2つめ。感情は往々にして、嫉妬やプライド、怒り、他人の不幸を喜ぶ気持ちといった、品性に劣る低次元の自己意識にささえられているということです。

感情をおし殺してみたり、他人に見すかされまいとおし隠してみたり、わたしたちは自分自身の感情との格闘にとてつもない時間をついやしています。

感情という荒くれ馬を乗りこなそうとしているロデオ乗り。まさにどんぴしゃり、それがわたしたちの姿です。
理性という馬具で、強烈すぎる感情をおさえようとがんばっているのです。美徳は、感情の側にではなく、理性の側にあるようについつい思えるでしょうからね。でもじつのところ、感情と理性とを対立させる考え方こそが、不安や苦痛の原因なのです。

自分のなかに感情が湧きでたとき、ネガティヴな感情だけをこしとって、ポジティヴな感情はすんなり外の世界へ放ってやるほうが、ずっと建設的なやり方です。「わたしは荒馬の群れをかっている。でも、ちゃんと馬小屋に入れているのだ」と考えること。どの馬もそれぞれ、あなたの懸命の調教にもおいそれとしたがわない荒馬です。

感情が爆発する瞬間というのは、どの馬かが馬小屋の扉を蹄でけやぶって、いまにも外に逃げだそうとしているときのようなものです。馬小屋からガンガンいう音が聞こえてきたら、すぐさま、なにをやっていようとも、すべてを中断して対処するようにしてください。

白熱した議論の最中でも、1分かそこら論争から身を引いて、頭を冷やしてみることです。人間の意志力や知性、なにより理性にさからわないよう、内なる馬たちをしっかり調教してきたことを忘れないで。

割り当てられた心の小部屋でちゃんとおとなしくしていろ、と命令すれば、馬たちは命令にしたがいます。馬たちが外にかけだしていいのは、あなたが許可を下したときだけです。ふたたび議論に加わるまえに、まず精神を集中して、荒馬たちが静かにまぐさをはんでいる姿を想像してみましょう。

理想をいえば、わたしたちは、いななく感情をぴたりと黙らせることさえできなくてはなりません。いななきが手のつけられないほどに甲高くなったり、いななきのなかにわがままそうな調子。

たとえば、自分のやりたいことが、ほかの人の理性ある行動でさまたげられたので、子どもっぼく駄々をこねるといった…が混じっているのを聞きつけた、といった場合です。

安らかな生活を維持するためには、自分の感情の動き方を把握して、この荒馬の手綱をどこで締めるべきかをその時々で適切に判断できるようにならなければいけません。

しかし、感情に鍵をかけて閉じこめてはみたものの、この感情についてみずから他人に語ることが必要になる場合も出てくるでしょう。自分の感情の襲まで踏みこんで莫撃に語るというのはおとなにとって、とりわけ、こういう問題について軽々しく語らないのが美徳とされてきた男性にとっては、一大決心がいることでしょう。

それに、感情についてしゃべっているうちに、まるで口から出る言葉が呪文ででもあるかのように、封印したはずの感情が見るみるたけり狂った姿でよみがえってくるというのも困ります。ここでも自己鍛練のテクニックが必要になってくるわけです。

たとえば、これから言葉にしようとする感情は、自分の感情じゃなくほかのだれかの感情なのだ、と自分で自分に思いこませてからしゃべってみたらどうでしょう。これが成功するかしないかのポイントは、法廷でのよい証人のようにふるまうことです。あなたははっきりと、でも冷静に証言しなければいけません。でないと審理は混乱し、結局、異相は明らかにならずじまいです。

いまここで自分の心を語ることを選択したのは、ほかならぬあなたであることを忘れないでください。あなたの感情があなたという人間を圧倒してしまうこともある、でもいまこの場にかぎっては、理性の法廷に感情の分析をゆだねたのはあなたです。選択したのがあなた自身である以上、感情のほうが、あなたの完全なコントロール下にあるのです。
posted by relux at 15:33 | Comment(0) | リラクゼーション
2017年02月26日

多種多様なストレスサイン

ストレスに傷めつけられていると、心や身体には特有の異常があらわれてくるものです。

しかし、わたしたちはこうした「異常」の本質を十分に理解しているとはいえません。わかっているようでわかっていない場合がほとんどです。

これらの異常は、じつは、人生における優先事項を再検討すべきだよ、というサインで、その意味では、わたしたちの心身がごく正常に機能していることを意味しているのです。身体や心は、これらのサインをれます。内に潜んだストレスの害毒を、をあげてみましょう。
孤独感
友人や家族から孤立していると感じる「群衆のなかの孤独」という感じがいつもつきまとって離れない
不安感
人前にでるととたんに自信がなくなり、心を許せるはずの人に対してさえ、自分をさらけだしすぎているように感じる。また、つねにみんなに値踏みされ、批判されているように思う。
集中力や記憶力の減退
ごく最近の会話や約束の内容がなかなか思いだせない。頭のなかがゴチャゴチャして、他人の話や情報を理解したり、記憶したりするのがひどくむずかしいと感じる。
定電話にでない
他人への興味がなくなり電話にでなくなる
疲労感、不眠
疲労感がは感じているのに寝られない
情緒不安定、すぐに泣く
涙もろくなるのは、とくに多いストレスサイン。また感情の起伏が激しく、気分が高揚し興奮したかと思えば、急にふさぎこむ
落ち着きのなさ
手や指をモジモジさせたり、指輪をもじってみたりi ちょっとの間もじっとることができなくなる。
仕事中毒
仕事に逃げこむのもストレス・サインのひとつ。逆にしょっちゅう欠勤するという形でストレスが表面化することもある
衝動的行動
衝動をおさえきれず、つい暴飲暴食、過剰な喫煙や買い物に走る。その一方で毎日の行動パターンは儀式化して、なんによらず、ちょっとでもパターンをはずれたことをいやがる。ト
食欲減退
食べることに関心がなくなる。なにも食べないかと思うと、ジャンクフードや、戸棚や冷蔵庫にあったものを手あたりしだいに過食してしまう。
静寝恐怖
静かな環境が苦痛で、人がいればやたらに話しかけ、1人であればテレビをつけっばなしにする。ちょっとした雑音もがまんできない。
外見にこだわり、運動やダイエット強迫的に打ち込む。

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2017年02月19日

風船のイメージトレーニング

このエクササイズは、習慣化してしまったストレス反応から自分を解放し、ストレスをひきおこす状況に対して新しい反応をプログラムする手助けになるものです。

必要なものは風船が2つとサインペン。手近になければ、想像上でおなじエクササイズを実行しましょう。
  1. あなたのストレスの種はなんでしょう。仕事、人間関係、家庭環境の変化、それとも年をとることへの不安や気苦労? あなたにとって重大だと思われる順にストレッサーをランク付けしましょう。
  2. いちばんのストレッサー(ストレスの要因)と思われるものを心に浮かべます。自分のいつものストレス反応を思いだしてみて、そのストレス反応を吹きこんでいるとイメージしながら、ひとつめの風船をふくらませます。
  3. .大きな針で、ふくらませた風船をつつきましょう。風船がパチンと割れると、さあ! いままでのストレス反応は消えてしまいました。
  4. 今度はポジティヴなエネルギーを吹きこむつもりで、ひと息ひといきしっかりと、2つめの風船をふくらませます。ふくらませた風船の表面に、ペンでこれからの新しい反応を書きこみましょう。
  5. 今後の新しい行動パターン、思考パターンの特徴を象徴するようなものや動物を考えて、風船の表面にその絵も描きましょう。
  6. 風船を手からはなし、これからの新しい自分の姿が心のなかにしっかりやきつくまで、ゆらゆらただようままにしておきます。ストレスのかかる状況になったら、この風船と、自分で表面に書きこんだ自分自身へのメッセージを思いうかべてみてください。
posted by relux at 09:51 | Comment(0) | リラクゼーション
2017年02月17日

ストレスの正体

ストレス。どんなシーンでも使われすぎてインフレ気味の言葉です。わたしたちはおたがいに、現代社会は、どうもストレスがより多い人間の役をきそって演じたがり、また、あなたはストレスを受けている、とみとめてもらうとありがたがる傾向があります。

実際のところ、ストレス自慢にうつつをぬかすあまり、ではいったいなにがストレスの原因なのだろうとか、ストレスが自分の生き方にどう影響してくるのだろうといったことには、まるきり頭を向けようとしないのです。

ストレスの要因は、歴史とともに…変わってきたといえるでしょう。どう考えても、遠いご先祖さまたちは、交通渋滞! にそう頭を抱えこんだりはしなかったでしょうし、種類も数もどんどんふえてきています。

数々の報告によれば、労働条件が大幅に改善された一方で、現代人はより長い時間働き、職場で…そのうえ家庭生活でも…いままでにないほどのプレッシャーのなかを危なっかしく綱渡りしているということです。

近代以降、社会は、よりスピーディーに考え、より多く働き、なにごともみごとにやってのけられる能力を求めるようになっています。

文明の発展の名において、わたしたちは現代における人間の条件、ストレスと呼ばれる条件を、自分で自分に課しつづけているというわけです。

感覚器宮を通じて外界の危険をとらえると、わたしたちの肉体はすぐさま生理的な変化を起こします。ホルモンとアドレナリンの血中濃度が上昇して、脳にはより多くの血液が流れこみ、感覚がとぎすまされた状態になります。

ごく日常的なストレスであれば、身体はだいたいこんなふうな反応でストレスに対応します。ところが、もうすぐもちこたえられなくなるぞ、と身体が警告のブザーを鳴らす状態が(身体の警告ブザーは、たいてい他人とのもめごとや逃避行動の形であらわれます)長期間続き、しかも、当の本人が警告のブザーをとらえそこねていると、心身の機能不全を招くことになります。

チベット医学では、ストレスは3種類の「体液・分泌物」のバランスが乱れたことで起きるとされます。過剰に分泌された場合には、3種類のどれもが特有の症状をひきおこすというのです。

「臓腑のガスのストレス」では、筋肉がこわばります。「胆汁のストレス」イライラや怒りっぽさを招きます。「粘液のストレス」では、気分がふさぎ疲労感がひどくなります。

西欧では、こうしたチベット医学を支持する人はすくないのですが、とはいえ、体液・分泌物説はバランスというものが重要だとする点で興味深い説です。バランスを欠いた状態になると(たとえば、野心が大きすぎて家庭生活とのバランスがとれなくなるとか)、ストレスは、まさに教科書通りの結果をもたらすのですから。

ストレス・サインは、ストレスを受けている人によって、またそのストレスの要因となった個々の問題によって、きわめて異なった形をとります。
一般的には、ストレスはなんらかの苦痛となって表面化することが多いのですが、この苦痛は、わたしたちに「このままでは危ないぞ」というメッセージを送ってくれていると考えていいでしょう。
いつもなら問題にもならないようなことが、とても解決できないように思えたり、ちょっとした仕事が恐ろしくつらく思えたりすることがあります。

これもストレス・サインの一例です。疲れがちっともとれないという感じ、はっきりした原因もないのにどこかしらが痛む、あるいは突然キレてしまうといった形をとることもあります。

こうしたサインをよく知れば、ストレスを受けていることを知るのに医者はいらないというわけです。ストレスの治療にも特殊な技術はいりません。ストレスのほんとうの原因をつきとめさえすれば、最終的には自分で自分をいやすことができます。

ただし、ストレスは日々生活していくうえでの「必要」悪だとか、他人の同情を買うための、それどころか賞賛を得るための手段だとか考えて、問題をなしくずしにしてしまうのをきっぱりやめるなら、の話ですけれど。

ストレスに真っ向からたちむかうための第一歩は、ストレスは自分のライフ・スタイル、心のもち方や身の処し方の必然的な結果。自分が心身に、なにかしら生まれながらの欠陥や短所をもっているしるしではけっしてないのだ…という事実をみとめることです。

なにごとにつけてもりっばにやりこなせなければだめだ…仕事も家庭も、それからガーデニングのような趣味、休暇のすごし方、果てはリラクセーションでも。

現代社会が期待する人間像は、わたしたちにとってあまりに負担が重く、無理してこの理想像に自分を合わせようとすると、ゆったりくつろぐためにどこかに出かけよう、なにかをしようというそのこと自体が、これまたストレスの種になってしまいます。

よく「プレッシャーがあるほうがよい仕事ができる」という人がいます。アドレナリンの分泌量がふえることを考えれば、なるほどありうるな、と説得されそうになるかもしれません。たしかに、プレッシャーがおだやかに高まり、それにともなってアドリナリンの分泌量が徐々に上昇するなら、しばらくのあいだは仕事の質や量が向上することもないとはいえません。

でも、アドレナリンの分泌量があるレベルにまで達してしまうと、プレッシャーはストレスに変わり、上り坂を描いていた活動は急速に落ちこんで、ついには心身ともに完全なグロッキー状態に至ることは避けられません。

自分の限界の範囲内で拍車をかけるなら、いい結果を出せるかもしれない、でも限界を超えてまでつっぱしれば、確実にストレスが待っています。結局、わたしたちははっきりと認識するべきなのです。生きていくあいだには山ほどのストレスに出あうかもしれない、かといって生きるということの本質がストレスではないということをです。

生きていくうえでなにが自分にとって必要不可欠で、自分がどこまでならやれるのか。これをしっかり見きわめれば、考え方やエクササイズを利用して、ストレスをじょうずにコントロールすることができます。

あなた自身がはねつけるのに無理やりストレスを押しつけることなんて、だれにも、なににもできません。わたしたちはみんな、ストレスという現代の魔物を波打ちぎわで撃退する力をもっているのです。
posted by relux at 18:33 | Comment(0) | リラクゼーション
2017年01月09日

縁起の見えない糸

世界中のあらゆる事物は、縁起の見えない糸でつながっている…近代の思想家のなかにもこうした思想を支持する人がいます。

心は身体と縁起の糸で結ばれ、身体はそれをとりまくすべてのものに結ばれ、踏みしめられる一歩一歩の振動は地を伝わり、口から発せられる一言ひとことが音の波となって空気のなかを運ばれていくのです。このような考え方自体もまた、世界の果ての果てまで、さらに世界を越えて宇宙にまで広がっていきます。

「風が吹けば桶屋がもうかる」式の金言はどこの国にもあります。すべての事物はたがいにエネルギーをおよぼしあっています。エネルギーは保存されるわけですから、わたしたちはどう転んでも無意味な存在ではありえないのです。

わたしの発したエネルギーも、ありとあらゆるところに計算不可能な反響をおよぼす− このことを心に置いていれば、いわゆる「深遠な」ストレス状態、いいかえれば、自分はこの世界では無意味な存在だ、と感じたことがきっかけとなっておちいる深い不安にたちむかうことができます。

こうしてはるかかなたのものとも縁起の糸で結ばれていながら、多くの人は個という艦に閉じこもり、自分のなかに潜む可能性に、頭のなかで勝手に限界をつくってしまっています。

たとえば、自分の意見なんかになんの力もないんじゃないか、と考えはじめると、やがて、けっして自分の意見を外に出さなくなり、ひいては「どうせ私には知的自尊心なんかないし、べつにそれでかまわないんだから、ほっといてよ」と自己満足の殻に引きこもることになります。この傾向がひどくなると、マスメディアが伝える世界のありさまを見聞きするにつけ、世界はコントロール不能の暴走をしているとしか感じられなくなります。

自分自身も日々歴史をつくっているということが実感できず、混乱と危険だらけの現実から自分を切りはなしにかかるのです。こうした“生き残ることだけに汲々とする心理状態”がセットされてしまうと、わたしたちはびくびくと自己防衛的になります。現実の世界の面倒ごとから身を引いてしまうのです。でも結局、現実から目をそむければそむけるほど、恐怖感とストレスはつのるばかりです。しかしもしわたしたちが、人間は心も身体も一つひとつ異なる個体ではあるけれど、それでいて、思いや行動でたがいに影響をおよぼしあうことができる個体なのだと信じるなら、わたしたちの倫理観はバランスのとれた状態をとりもどします。

自分に近しい人々がしあわせでないのなら、だれひとりとしてしあわせにはなれません。他者の幸福こそがわたしたちを前進させる力となります。わたしたちが選ぶのです。自己満足の個人主義を選び、世界は心や身体とは無関係に動いていくのだし、自分など無意味な存在だと思いこんで、びくびく殻に閉じこもって生きていくのか。
それとも世界に向けてみずからを開き、心と身体をもって世界に働きかけ、世界からの働きかけをも受け入れるバランスのよい生き方を選ぶのか。世界をあの人たちの世界ではなくわたしの世界と見ることができるようになれば、そして、世界と意識と身体とがくりひろげる複雑なドラマでは、「このわたし」も重要な役割を果たしているのだと考えられるようになれば、そのとき恐怖感は霧のように消えていきます。はずかしがりやの獣がやさしくなでてくれる手に近づいてくるように、平和と調和がそっとよりそうのです。
posted by relux at 11:41 | Comment(0) | リラクゼーション

現代人はもっとリラクゼーション

選ぶのはわたしたち自身です。一生を「高速車線」で飛ばし、ひとつの体験からそのつぎへとフルスピードで猛進して、そのあげく道の果てにあっというまにいきついてしまうか、それともスーパーハイウェイをおりて、スピードより運転技術がものをいうような静かな道路をのんびりいくのか。最後にたどりつく地点はおなじでも、どの道を通って旅を進めるかで、旅を終えるときの心と身体の状態は変わってきます。

もしかするとわたしたちは、道を選ぶということ自体を忘れてしまったのかもしれません。おおかたの人には、たぶん高速道路以外の道は見れども見えず、といったところでしょう。とはいえ、高速で飛ばす代償はあまりに高くつきます。

美しい風景、心を打つ名所旧蹟に目をとめ、足をとどめるといった、のんびりした道ならではの醍醐味は見のがされてしまいます。
リラックスの国へと至る道は、曲がり角だらけのうねうね道です。道に迷うことだってあるでしょう。でも、それも旅の楽しさ。ワクワク、ドキドキ感はいっそう高まるでしょう。

スーパーハイウェイからおりるのは、たしかにむずかしいことかもしれません。おもいきって分かれ路に入ってみても、できればやっぱり高速車線に乗りたいという、わたしたちの奥底に根を張った考え方を一掃しないかぎり、いくらもいかないうちに、気づいてみればまた元のもくあみになりかねません。

リラックスはスピード指向とは両立しません。歩みはのろく速まわりかもしれない、でもそんな旅だからこそ、最後にはおだやかな平和に満ちた国、だれもが心のなかで夢見ている地へとたどりつけるのだ。そう信じて進みましょう。
posted by relux at 11:33 | Comment(0) | リラクゼーション
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